微睡みの中で夢をみているような一冊・足摺り水族館(あしづりすいぞくかん)

足摺り水族館表紙 日常
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皆さんこんにちは、アラサーフリーターのmamuです。

私は昔から読書が好きで、読まず嫌いをせずジャンルを問わず色々な本を読んできた。

その中には漫画なども当然含まれている。

と言うのも、趣味がアニメ好きという事で温かく見守って頂きたいのだが、今回はそんな漫画の中でも大人に読んで頂きたい不思議な一冊をご紹介したい。

そのタイトルは『足摺り水族館』作者は、panpanyaさん。

夢と現実の境界線があやふやな何とも不思議な世界観で、まるで微睡みの中を漂っているような雰囲気の短編集となっている。

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足摺り水族館とは

作者panpanyaさんの初期の作品短編集で、2011年に全て手作りで制作された作品を商業誌として再構成したものだ。

コンセプトは”一冊の本をして水族館感を体現させる”で、作品の中では度々魚が登場する。

総ページ数300ページ以上ながら、文字が多い訳では無く読みやすい。

デフォルトでビニールのブックカバーが掛かっていたり、ページを捲りやすい柔らかな紙質で手に取ってみても細部までこだわりを感じる一冊だ。

そしてページを捲ると広がるのは、夢の中のような浮遊感と心地良い違和感。

表紙にも描かれている通り登場人物は皆シンプルでかわいいながら、タッチの濃い背景が合わさってそれが絶妙なコントラストを生むのである。

と言う訳で、ここからは私個人が好きなお話をより抜きで紹介と感想をお送りする。

ネタバレにはならない程度なので、楽しんで頂けると幸い。

足摺り水族館(前編・中編・後編)

最初のお話はカラーでの数ページで作中に中編後編と続く。

主人公は親戚が送ってくれた本の中から古びたチケットを見付けた。

挟まっていたのは足摺り水族館のチケット、主人公は早速水族館に行ってみる事にした。

道中見える町並みは、そこら中魚だらけで独特の雰囲気だ。

私はページを捲りながら、まるで違う世界に入り込んでしまったみたいな小さな不安感を覚えた。

人間が簡潔に描かれている一方で描き込まれた魚のクオリティーが特有の世界を織り成しているのだろう。

この短編集はこういう対比が凄く魅力的な作品なのだ。

中編は再びカラーページとなっていて、写真と文章が並んだ旅日記みたいな感じだ。

こちらも何だか興味深くてフムフムと読んでしまう。

後編はイラストと写真で構成された、所謂この一冊の”水族館”というテーマを強く感じさせる。

故にこの足摺り水族館という一冊を語る上で、根源を担っているこの3部を好きな話として始めに紹介させてもらった。

完全商店街

主人公が母に頼まれてお使いに行くお話。

「商店街で買えるものばかりだから」と言われて、メモを片手に商店街へ向かう。

メモの内容はリンゴや白菜などの他に、ひとつ読めないものがあった。

…いや、本当になんて読むんだ…?

ごく日常にありふれたお使いのメモに書かれた文字への違和感が凄い。

主人公は仕方なく商店街で聞き込みをすることに。

しかし、どこで聞いてもメモに書かれた物が一体何なのか分からないのである。

主人公は仕方なく聞き込みを続けて、徐々に目的へ進んで行く。

一体その目的の物が何なのか分からないまま進む主人公は、その道中で『TAXI』という言葉が分からず母親から言葉を教わっている赤ちゃんを見掛ける。

そして思うのだ、『言葉がわからないという点では私もあの赤ん坊とかわらんのだな…』と。

成長の中でいつの間にか知っていた物事も私たちは誰一人最初から知っている訳ではなかったのだなと思う反面、今だって”知っている風”になっているだけでその実本当の意味や意図を知っているのかと私は考えてしまった。

考えた所で答えすら分からなかったけれど、なんとも緩やかに胸に問いかけるセリフのように思う。

内容もさることながら私がこのお話の好きな所は、何と言ってもおびただしく描き込まれた看板の数々だ。

物語のたった一コマなのに何だろうこの圧は。

この先、展開が進むにつれて次々現れる看板は更に増えて、一コマにギュウギュウに流れて行く。

その異質さから確かに読める文字が並んでいる筈が異世界的で、作品の見所のひとつと言っても過言ではないだろう。

さて、お使いの品が一体何だったのかは、あなたの目で確かめてみて欲しい。

冥途

このお話は、妹がフランスに引っ越したので主人公はそのお手伝いにやって来ていたのだが、然程やる事が無いので当てなくフランスの街中を歩くお話だ。

その道中、頭上を飛んで行く飛行船を見掛けて、ちょっとした好奇心からその後を付いて行く事にしたのである。

その内、異国的なフランスとも違った”死者の町”に迷い込んでしまうお話となっているのだが、私が個人的に感じたこのお話のテーマはこのコマの言葉に集約されているんじゃないかと思う。

『”普通”という概念がいかにあやふやなものか 普通とは最も信用に値する基準と思わせてくるが、一番信用ならないものだ』

このコマの前にはフランスの街並みを眺めながら主人公はこんな事を考えている。

建物ひとつひとつを見れば装飾過多でわざとらしい、しかし全てがわざとらしいとそれが基準になって、結果それが自然になってしまう…と。

主人公が異国で感じたカルチャーショックは、主人公が生きている国では当たり前では無い文化と出会ったからだ。

私たちの持っている”普通”とは一体何なんだろう。

考えてみると時が経つにつれて普通の基準は変わって行く、江戸時代と今とか大きく見れば分かりやすいけれど、生きて行く中で今を生きる私は緩やかに変化する普通という概念には鈍感なのだろうと思った。

いつしか今持っている普通が奇妙なものに変化していたとしても、きっとそれに気付くのもずっと先なのだろう。

何にせよ、普通とは常に変化して行くものなのだと改めて考えたりした。

そして個人的に印象に残っているのはこの場面。