皆さんこんにちは、現在ダイエット中につき激しい空腹と戦っているアラサーフリーターmamuです。
前回の続き、入れる世界遺産温泉つぼ湯を堪能した後の2019年03月31日へ遡る。
車内でお化粧を施す女性陣。
今はすっかり定番化した車中泊だが、20年前には珍しいものだった。
そんな昔から車中泊してきた私たち家族にはお手の物。
空はすっかり明るくなって、朝の清々しさが漂う。
そんな中、朝食を取る場所を探して出発した私たち。
しばらく走って、小高い遊歩道が食事場所に決まった。
土手のような歩道に桜が1本だけポツリと咲いていて、どことなく物悲しいと感じる場所だった。
何故そんな所に…と私たちも思ったが、決定したのは父である。
とりあえず、親友ちゃんが持って来てくれた巨大ブルーシートを桜の側に敷いた。
周囲に人の気配は無く、桜が風に吹かれる音だけが聞こえる。
…いや、風が強い!!!
本当にこの時は風が強かった。
花見客もいない本当の道端に、今にも飛んで行きそうに荒ぶるブルーシートを敷く団体の姿はシュールに違いないだろう。
つぼ湯でポカポカになったとは言え、まだまだ冷える春風が容赦なく吹き付ける。
感想としては、本気で寒かった。
持参したカセットコンロの炎が不安定に揺れる。
皆で円陣を作り炎を守りながらシチューを温めて、スクランブルエッグを作った。
トリミングしたので写真のサイズがバラバラで申し訳ない。
野外、しかも道端で調理だと!?と驚愕されるかもしれないけれど、繰り返すが人の姿は辺りに無い。
それに車中泊がまだまだ珍しい時代から私の家族はこんな感じなので、堂々としたものである。
とにかく強い春風にビュービューと吹かれていたので、余計にシチューの温かさが染みた。
これは余談だが、父の選ぶ食事場所は高確率で寒い。
何故か強風が吹き込む場所をピンポイントで選ぶ、不要な能力があるのだ。
友々島でお弁当を食べた所も強風で、置いていた卵焼きが転がった。
島根県では私のメロンパンが飛んだ。
不思議な事に、父が選んだ場所を一歩ズレるとピタリと止むのだから、たいしたものである。
辺りの風景はこんな感じ。
何処と聞かれても分からないけど、立派な鳥居と桜が綺麗。
その時は春風に震えていたが、今になるとこれも良い思い出である。
さて、食事を終えた私たちは、次の目的地を目指してブルーシートを畳んだ。
目指すは高野山、昔は女人禁制で山全体が境内だった場所である。
昼間になると気候も随分暖かく、お出かけ日和。
この日は高野山の中心、奥の院側を観光・参拝した。
訪れた事のある人はご存じだろうが、高野山の見所は本当に多い。
全てを見て回ろうと思うと1日仕事になるだろう。
駐車場は基本無料で沢山あるので、自身の目的地から近い場所を調べてみると何処かしら出てくる。
奥の院は世界遺産にも指定されている大正時代の寺院で、偉人たちが数多く眠る場所としても有名だ。
その巨大さを写真で伝えるのは難しいが、参道には空へ伸びる杉の木が立ち並んでいる。
調べてみると樹齢700年…。
この並木だけで圧倒された事をよく覚えている。
参道は歩いているだけで何処か異質で、壮観だ。
数度訪れた事のある私でも毎度幻想的に感じる。
初めて訪れた親友ちゃんは、杉の木を見上げて目を輝かせていた。
感想は「デカい、何か神秘。」との事。
相変わらずの感想に安心感。
奥の院の参道には墓石や慰霊碑がズラリと軒を連ねているのだが、その数は約20万もあるそうだ。
木漏れ日の中で苔を生やした石碑が佇む様は、長い歴史を思わせた。
そりゃ圧巻である。
日本史に明るくない人でも知っている偉人の名前。
この写真だと見え難いが、水輪と呼ばれる真ん中の丸い所に注目して欲しい。
ヒビが入って割れているのがお分かり頂けるだろうか。
何度立て直しても割れるそう。
これには噂があって”主君を裏切ったから”なんて、信長の祟りが囁かれているそうな…。
私はこの当時何の知識もなく「割れてるな…まぁ古いし」くらいに思っていたが、そんな噂があったなんて。
この時に戻ってもう一回見たい!!
勿体ない事をしてしまった…と書いている今思っている。
それとあれだ、ブログに載せる未来など想像していなかったので資料写真が圧倒的に乏しい。
これなんて本来見せたい場所と看板がモロ被りなのだが、家族を載せる訳にいかないので気になる人は現地で見てみよう!
とにかく、名だたる偉人たちの名前が続く。
参拝客の客層はご高齢から家族連れまで様々だったが、大きなカメラを手に熱心に写真を撮る歴史好きさんが目立っていた。
歴史に関心のある人にとっては、聖地巡礼のひとつになるのかもしれない。
何にせよ好きな物事があるというのは素敵な事だ。
何故斜めなのかよく分からないが、道は平坦だった。
明らかに私の雑さが伺える。
参道を半分ほど行くと、中の橋を渡る事になる。
写真を使えない事が本当に悔やまれる。
其処に流れる玉川は、その昔死の隠語である”金”を用いて金の川と呼ばれていたそう。
金の川、つまり死の川は三途の川を表していて、橋を渡るとその先は死の世界に足を踏み入れる事を表しているそうだ。
その橋を渡った先にの左手には『汗かき地蔵』が祭祀されている。
人々の罪を一身に請け負い、代わりに地獄で業火を浴びているから、いつも汗をかいているお地蔵さんだとか。
高野山の伝承として、世の中の全ての人々の分を請け負っているらしい。
長年に渡りご苦労様です。
ちなみに、汗かき地蔵さんは全国各地に存在していて伝承も様々である。
三途の川を渡って直ぐに死後の世界観と出会うのだ。
汗かき地蔵さんの隣には、姿見の井戸もある。
この井戸は覗き込んで自分の姿が映らないと、3年以内の命だと言い伝えられている。
普通に怖い。
汗かき地蔵さんに引き続き、この辺からやたらと死を意識させられた覚えがある。
恐る恐る覗いた所、余裕で映った。
家族も親友ちゃんも大丈夫だった。
この井戸を通り過ぎると、次は『覚鑁坂』(かくばんざか)別名三年坂がある。
ここで転んだら3年以内に死ぬという、これまた恐ろしいものである。
先程とは違い「死ぬ」と断定された言い方をされるのが絶妙に怖い。
もしここで転んだとして、井戸を覗いたらどうなるんだろうと今思ったけど…怖いので一生試すつもりは無い。
恐ろしいスポットで参道は丁度半分くらい。
ちょっとした観光スポットとして、他の参拝客も皆わちゃわちゃと楽しんでいる様子だった。
辺りはまだまだ幻想的。
こんなに大きな杉の木が、そこかしこで根を張っている。
こんな道をずっと歩いていると、何処までも続いていそうな不思議な気分になった。
この辺りの2股道までやって来ると、弘法大師御廟までもう少し。
弘法大師御廟とは、835年03月21日に弘法大師が62歳で入定(究極修行で生きたまま仏になった)後、弟子たちが廟を建てたものだそう。
ちなみに弘法大師空海は今もこの場所で瞑想を続けている、と言われている。
御廟橋からは最も神聖な霊域になるので、写真撮影禁止。
大師信仰の中心聖地に入る。
一礼してから橋を渡る。
此処までの参道も十分に壮観なものなのだが、ここからは本当に重厚な雰囲気になったと記憶している。
それは私自身の気持ちの問題かもしれないが、他の参拝客もどこか背筋が伸びているように感じた。
ちなみにこの辺に燈籠堂(とうろうどう)もある。
裏手には沢山の蝋燭があり、様々な人が供養されている。
私たちも1本ずつ蝋燭を立てた。
ゆらゆらと無数の炎が揺れる様子はどこか幻想的だった。
燈籠堂は全体的に厳格な雰囲気なので一度は見て欲しい。
そのまま歩みを進めると、左手にみろく石が見えてくる。
祠の格子の中に石があって、手を突っ込んで持ち上げるというものだ。
持ってみて軽く感じたらその人の罪は軽く、重く感じたら罪が重いそう。
お年寄りやお子さんが完全に不利だと思うのは私だけだろうか?
私たちメンバーは女性陣は重く、男性陣は軽く感じていたと記憶している。
私だってマッチョだったら軽く感じていたと思うので、あまり気にしていない。
なんでも、石に触れるだけでご利益があるそうだ。
結果は気にせずご利益だけ持ち帰ろう。
其処を抜けると護摩堂がある。
ここからは写真撮影解禁。
護摩とは焼くという意味があり、煩悩や迷いを焼き尽くすという意味があるそうだ。
ここの辺でお守りやお札を購入する事ができる。
私は何も買わなかった。
玉川の清流が太陽に照らされて綺麗。
参道はずっと高い杉並木に囲まれているので、あまり太陽の光が届かない。
一方、お堂の周りだけ開けているので余計に明るく感じて、一層清々しい。
歴史と自然・宗教が入り組んだ不思議な場所、それが高野山奥の院である。
間違いなく楽しかったのだが、それよりも感性をくすぐられる深い時間だったように思う。
大変奥深い場所なので何度訪れても面白い場所だ。
引き返していると白アリの慰霊碑もあって笑ってしまった。
実に日本的で面白い光景だと思う。
私たちは1時間30分程でゆっくりと観光する事ができた。
歴史に詳しくなくても楽しい場所だが、次訪れるなら少し勉強してから行ってみたいと思っている。
きっと新しい発見があって、この頃よりも一層興味深いものになるだろう。
1日を通して深く歴史に触れ合った楽しい旅。
あぁ~…旅行したい!!(笑)
和歌山県旅のブログはこれにて完結。
コメント
[…] 次回は世界遺産温泉で温まった心で巡った高野山の話を書こうと思う。 […]