【夏の北海道5完結編】2019年07月祖母と行くベストシーズンの北国:小樽の歴史を知り、ヒルトンニセコビレッジに宿泊した過去旅

小樽運河の景色 日本旅
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皆さんこんにちは、5月5日こどもの日はゲームとびだせどうぶつの森内で新聞紙の兜を貰いましたアラサーフリーターのmamuです。

前回、白樺並木とえこりん村の世界1大きなトマトの木を見た私たちは、次いで小樽観光へとやって来ていた。

そしてこの時になると前回の雨模様から少しだけ青空が覗くようになっていた。

今は亡き祖父との思い出深い街だと語った祖母は、この北海道ツアーの中で何処よりもこの小樽を楽しみにしていた。

自然に上がったテンションで2人とも笑顔になる。

小樽の町並みは日本に居ながら、どこか異国情緒を感じさせるレトロなものだ。

一応ここからは、小樽という町の説明を交えながら先に進もう。

『北のウォール街』とも呼ばれる小樽は運河の街として今や観光都市のひとつとなった。

ウイスキーにお寿司・ガラス工芸と沢山の魅力がある街だ。

そんな小樽が何故北のウォール街と呼ばれるのかには、近代の日本の歴史が詰まっている。

この日小樽には大勢の観光客が行き交っていた。

運河の脇には露店が並び、ハンドメイドのアクセサリーや似顔絵が販売されていた。

その様子を楽しく眺めながら祖母と歩いたこの時間は、実に穏やかなものだった。

その対岸に立ち並ぶは、石造りの大きな倉庫。

これがまた小樽の見所でもあり美しい景観となっているのだが、この倉庫こそが小樽の歴史の象徴だろう。

戦前の小樽はニシン漁の最大の拠点でもあり、北海道中で採掘された石炭を積出す港でもあった。

そして、海外との国際貿易港として函館と争う程の繁栄を見せたのだ。

明治2年(1869年)当時、北海道の開拓使は函館に置かれ、北海道の南に偏っていた事を理由に北海道の中心である札幌に本庁を構える事に。

その時資材が荷上げされたのが小樽港。

その後明治4年(1871年)に立案された『開拓使10年計画』が決定したことで、後の内閣総理大臣・黒田清隆から潤沢な予算を受ける。

これをきっかけに工場設立・石炭輸送を目的とした鉄道を開発。

北海道で初めての鉄道が走ったのはこの小樽だったそうだ。

新幹線や電車があちこちに走っている現