皆さんこんにちは、アラサーフリーターのmamuです。
人は皆昔は子供であった。
それは私も当然そうだったし、今これを読んでいるあなたもそうだろう。
そんな中でも幼き日の記憶が割としっかりあるタイプと全く覚えていないタイプが存在する。
親友ちゃんは幼き日の記憶が本当にあやふやなタイプで、私はと言うと割としっかりと記憶しているタイプだ。
ある日の休日、私たちは他愛ないお喋りに花を咲かせていて、その話題は幼い頃の出来事だった。
そこで思い出したのが、タイトルにも付けているビスケットの話。
童謡『ふしぎなポケット』の歌詞はこうだ。
ポケットの中にはビスケットがひとつ
ポケットをたたくとビスケットがふたつ
そうしてビスケットが増えるというこの童謡に、幼い頃の私は衝撃を受けた。
ポケットを叩くとビスケットが増える…だと!?みたいな感じである。
昔は比較的おとなしい子供だったけれど、内に秘めたる好奇心は今と大差ない。
そうして私のビスケットチャレンジは幕を開いた。
ターゲットは、1つ1つ小袋に包装されたタイプのビスケット。
素のビスケットをポケットに入れる事に抵抗があるというのと、単純に母に叱られてしまうという理由から小袋のビスケットをチョイスした。
目標はビスケット4つ!
おやつとかを基本的に弟と半分こしてきた姉力から、増えたビスケットを弟と山分けして2つずつ手に入れば十分だと考えての目標設定だ。
後は私のポケット次第…私の脳内構想は完璧だった。
とは言え、子供の着ている服のポケットなんてたかが知れた小さな物で、ビスケットが4つに増えた事を想定して大きなポケットがある服の日にチャレンジは始まった。
内心ドキドキしながらポケットにビスケットを入れた時には、『本当に増えたらどうしよう…ふふふ』みたいな気分だった。
私の脳裏には姉に尊敬の眼差しを向ける弟の姿が浮かんだ…ふむ、存外悪くない気分だ。
私は胸いっぱいに期待を膨らませてポケットを4回叩いた。
計画的にはこれでビスケットが増えている筈、『本当に増えていたらどうしよう』なんて思いながらも半分以上は本気で増えていると決めてかかっていたのである。
成功しているのか失敗しているのか、手に汗握りながらビスケットを取り出して私は現実を目の当たりにした。
小袋の中のビスケットが粉々に粉砕している光景を見て、随分悲しくなったものである。
きっとひどく落ち込んだ面持ちでポロポロになったビスケットを食べていた事だろう。
そして悟ったのだ、ビスケットを叩けば当然割れる…故に歌詞内でビスケットは内容量として増えたのではなく割れた事で分裂し、数が増えたのだと…。
大人になった今の私からしてみれば何を当たり前のことをと思ってしまうけれど、当時若干幼稚園児だった私はひとつ学んで大人の階段を上ったのだ。
しかし、私は昔から妄想がちなファンタジー思想だったので歌詞に登場する『ふしぎなポケット』なる存在が決して無いとは思えなかった。
非常に残念な事に「…そうだ、ポケットが悪かったんだ!!!」という思想に至ったのである。
そうして私は『ふしぎなポケット』に出会う為にビスケットを叩き続けた。
それをいつ頃諦めてしまったのかは覚えていないけれど、『ふしぎなポケット』が存在する可能性に懸けて奮闘したあの日々は現在何の役にも立っていない。
この話に親友ちゃんはめっちゃ笑っていた。
そうか、面白いのか…?と思って文章にしてみたのだが、活字になると尚の事馬鹿馬鹿しくて鼻で笑ってしまった。
他にも、私は倒れたコップから水がこぼれてしまうのが不思議でならなかった。
人間が地面に立っている、物が下に落ちるという重力の概念なんてまだ持っていないし、それらの現象と水がコップからこぼれてしまう現象が同じ原理なのだと結びつく事はなかった。
そもそも呑気に生きている幼稚園やそこらの子供が、『は!これは重力だ!』みたいに博識だったら違和感が凄い。
少し話が逸れてしまったけれど、とにかく平凡な幼稚園児だった私は結構頻繁に「なんで水ってこぼれるん?」と考えていた。
そのきっかけは、私が高熱を出して寝込んでいる時だった。
深く眠っていたのであろう私は目覚めると凄く喉が渇いていて、冷蔵庫に入ったポカリを求めて起き上がった。
風邪の時しか飲めないポカリは当時ちょっとした楽しみで、コップに並々注いで一気飲みした後にまた並々注いで、いそいそと布団へ戻った。
そして、チビチビとスペシャルな味を味わい、コップの2/3が減った頃に『座っていたらクラクラするし寝転びながら飲もう』と思ったのである。
コップを傾けたまま布団に横になった私の顔面はポカリでビショビショになっていた。
そりゃそうである、謂わばコップを逆さまにひっくり返した形になるのでポカリを一滴残らず顔に浴びたのだ。
ポカリを被った私は考えた『何故こぼれたのだ』と…そしてその答えは出なかったが、ひとつ学んだ事があった。
この日は寝室の窓が開いていて心地良い風がカーテンを揺らしていた。
私はこの時よりも以前に『顔を水で濡らして走ると涼しい』という所謂蒸発を学んでいたのだが、ポカリを被ったこの日走らなくても風が吹けば涼しくなるのだと気付いたのである。
そして私はそのまま眠った。
オイ寝るなよ!!となってしまうが、高熱で火照った顔が涼しくなって気持ち良かったのだ。
そして数年後に知る蒸発や重力という概念と出会った時は、全力で「そうだったのか!!」とアハ体験したみたいな気分だった。
親友ちゃんから言わせると、幼い私は不思議な事を考えてまさかの実体験で学んでいるそうだ。
だが、そのほとんどの事が今後に活きる事は無いだろう。
そんなどうでもいい思い出が沢山ある。
そしてこれも幼き日に紐付いて思い出したことなのだけれど、そう言えば小学生に成長した私は妙な遊びに夢中だった。
その遊びが発動するのは夏の暑い日。
透明な円形のプラスチックの箱にお気に入りのスーパーボールやプラスチックのキラキラした石みたいなやつとカラフルなビー玉を箱の半分くらい詰めて水を張り、そこにイルカのフィギュアを投入。
それを持ってマンションの最上階の階段踊り場に向かい、空に透かしてみたり手を浸すというものである。
自分で言うのも何だが…小学生には風流過ぎる遊び…。
私は、この遊びが大好きだった。
マンションから辺りを見渡して景色を眺め、冷たい水に手を浸して涼やかな水音を楽しみながら自分がイルカになった想像をして色んな海を旅していたのである。
やはりと言うべきか昔から変わった子供で、想像力が抜群に高かった。
自宅のベランダでも度々これで遊んでいたけれど、風鈴が綺麗な音色を響かせていてそれもそれで好きだったと記憶している。
温泉ASMRで入浴剤ライフを楽しんでいる今のルーツを意図せず存分に実感してしまった…。
最後にそんな変わり者の私が恥をかいた話でもしよう。
幼い子供のそのほとんどが両親に騙さた経験があるだろうが、私もそのひとりであった。
祖母はとても活発な人で時に豪快だったりするのだが、そんな祖母の耳掃除は豪快過ぎる物だった。
幼き頃の完全なるトラウマ…耳が血でタプタプになって頬を流れたのである…。
個人で耳掃除をするのは好きだ、だがその日から誰かに耳を委ねる事がめちゃくっちゃ怖くなった。
そして存分に私の気持ちを察しながらも、どうしても子供の耳掃除をしなくてはならない母はこんな嘘を付いたのだ。
「耳くそは虫の卵で、放っておいたら耳食べるねんで」
途端に私は震え上がった。
母よ、どうにかして耳掃除しなきゃにしても怖すぎやしないだろうか…(笑)
そうして震えながらも耳を差し出していた私だが…ここからが問題で、私はこの母の致し方ない嘘を中学生まで信じていたのであった。
そして事もあろうに友人に当然の如く披露してしまい、真実を知る事になった。
しかも「え、知らんの!?耳くそって虫の卵やねんで…?」みたいな披露のし方をしてしまったので、最早目も当てられない悲劇である。
恐る恐る「耳くそって虫の卵じゃないの…?」と問う私に母が「えっ、まだ信じてたん?」とあっけらかんと言い放つ数時間前の出来事であった。
そんな訳で、幼い頃の私の思考や思い出を綴ってみたが如何だっただろうか…(笑)
正直総じてどうでもいい内容には違いないけれど、ここまでお目通し頂いたあなたが少しでもクスっとしてくれていたら幸いである。
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