【SNS疲れ】HSPの私が旧Twitter現Xにログイン出来ない理由

スマホと人形 日常
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皆さんこんにちは、アラサーフリーターのmamuです。

あなたも『SNS疲れ』という言葉を、一度は目にした事があるだろう。

現代日本で日常に溢れるSNSは、Facebook、instagram、TikTok、X等さまざま存在している。

SNSを利用していなければ出会う筈の無い数の人と出会う事が可能な場所だ。

共通の趣味を持つ人、美しい景色、クスッと笑える話し…SNSには利用者の数だけ沢山の話題が溢れている。

だからこそ、色々な事が起こるのだろう。

私は、実際にXを楽しく利用していた筈がSNSに疲れてしまったのだ。

その体験談にこれからお目通し頂くにあたり、私の持つHSPという特性が深く関わってくる訳だが…「HSPって何だ?」という人はコチラを御一読頂けると幸いである。

さて…前置きはこの辺にして、今回は私が実際に感じたSNS疲れについて綴ろう。

同じようにSNSに疲れてしまった人の何かのきっかけになれれば嬉しい。

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SNS疲れのはじまり

そもそも私は、SNSとは無縁の生活を送っていた。

そんな私がSNSをはじめたきっかけは、ただ単に趣味について話したかったからである。

何ぶん私は昔から変わり者らしく、自身の周囲にいる同年代の友人とはあまり共通の趣味を持ち合わせていない。

アニメや映画、旅にグルメと多趣味なものの趣味が似通っているようでいて、絶妙に周囲とズレているのだ。

そんな私にとって初めて飛び込んだXは、驚きの連続であった。

最初は、似通った趣味の人が大勢いる事に歓喜した。

そして徐々に、私自身とは全く違う趣味を持つ人達の世界も覗き込むようになった。

今まで自身が興味を示さなかっただけで、世界には沢山の楽しい事があるのだとワクワクした。

人が楽しんでいるそれを私自身も楽しんだのかと聞かれると、そうだとは言えないけれど…ただ、顔は知らずとも文字を交わした人達が楽しんでいるという事が楽しかった。

今までなら見向きもしなかった事柄でも、SNSで文字を交わしたあの人が好きだと言ったものだとか、そういう事が目に入るようになったのだ。

フォロワーさんが増える度に私の世界は少しずつ広がり、楽しさも増えていった。

顔も知らない、声も知らない、そんなSNS上の人達から私が受けた影響は柔らかく大きかった。

頂いた言葉が嬉しくて、いいねを頂いたら嬉しい。

頂いた言葉には言葉で返したい、いいねを頂いたなら全て返したいと思った。

きっとそれが『気にし過ぎる』私の特性や性格上いけなかったのだ。

日々楽しく見ていた筈のXを過敏に気にするようになった。

勝手な決定事項

誰かに何かをされたとか、そんな事は全く無い!!時折勧誘DMが届くくらいで、むしろ優しい世界に溢れていた。

そして皆優しい言葉をくれた。

だからこそ私も誰かを傷付けたり、苛立たせてしまうような事は一切したくなかったのだ。

それは今も変わりないけれど、全員が全員を”絶対に”不快にさせないなんて難しい事だと思うし、私自身をそんな出来た人間だと思った事はない。

なのに、その『全員を絶対に不快にさせない』という難しい事を勝手に決定事項に掲げてしまったのである。

その延長線上には『頂いた言葉には言葉をいいねは全て返す』というものも付属されていた。

目には目を歯には歯を!ならぬ、優しさに優しさをいいねにはいいねを!みたいな…勝手に…(笑)

そんな事に必死になっていても無論日常生活は続く訳で、仕事が忙しくなったり体調を崩したりする。

それでも尚捻出した時間を削りXを開く日々…最初にワクワクしていた気持ちや広く見えた筈の世界なんて見える筈も無い。

そんな訳で私は、勝手に掲げた決定事項で自分自身の首を絞める事になったのだ。

考え過ぎてがんじがらめ

X上にいる人達は、この世界中に存在する人でSNS上とは言え対人関係に変わりないのだと私は考えている。

つまり…自分自身のペースで…なんて失礼では!?

いいねを頂いたらすぐに返さなければ、お返事するのにこの言葉で失礼は無いだろうか…。

このツイートに私がコメントして平気かな…失礼な言葉になっていないかな…。

表情が見えない分誤解を生みやすいし…なんて気にしてしまえば後は芋づる式にあれよあれよと考え過ぎ地獄に嵌った。

そのくせ相手のお返事が遅くともいいねが無くとも、私自身の事に関しては気にしていないのだから世話がない。

そもそも本来の私は、普段から連絡も全くマメでは無いしガサツな性格なのだ。

お返事の礼儀礼節を気にするのは最低限のマナーだと思うけれど、いいねを全て返さねば…なんてのは、まっっっっったく性に合わない!!!(笑)

繊細で考え込む性質に一番合わさってはいけないのがガサツじゃないのか!!!!(笑)

本音を言えば「皆に今日もいいねだ!生きてて偉い!ヌハハハ!」とか言って、デカいハート1個をドンで済ませたい。

なのに決定事項にしてしまったものだから、無駄に真面目が顔を出して血眼でいいねし続けていいね制限なんてものになってしまうのだ。

そしてはたと気が付いた……………あれ、私SNSがしんどい……と。

そんなに言うなら辞めちゃえば?

と、自分で思った。

考えれば考える程、私の性格はSNSに向いていないのだから。

それでも辞めたくない理由は、はじめた頃楽しかったのだから本来楽しい場である事。

私はやはりあの頃みたいにワクワクしたいし、誰かが楽しそうにしているのが好きみたいだ。

そして、このブログの存在である。

誰かに読んで貰いたい、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。

私はとにかくSNSから距離を置いて、ゆっくりと気持ちを擦り合わせてみる事にした。

まず、先程も記載した通り勝手な決定事項で自滅してしまったので撤廃しなければならない。

…ただ、SNSを対人関係と捉える私にとってお返事やいいねのお返しを”気にしない”というのは、どうにも難しい問題だ。

仕方無いので、自分の中のルールを緩める事にした。

お返事は私自身が返したいので返すけれど俊敏でなくて良い、いいねは追えた人や目に付いた素敵なものにする…くらいに緩和すればかなり気楽だ。

不快ならブロックされたって構わない、逆にブロックしてしまったっていい。

SNSで当たり前のブロック機能さえ駄目な事なのだと無意識に決めていた自分自身に驚いたが、これらも今後は活用可能とした。

本気で疲れてしまったら辞めてしまってもいい、という事を大前提にすると私的にはめちゃくちゃ楽になった。

だからと言って簡単に自分の性格や特性を変えられる訳では無いので、現在X上でめちゃくちゃな低浮上をしている。

以前なら考えられない期間だけど、ゆっくりと自分に合ったSNSとの付き合い方を見付けられたらなぁ、と気楽に模索中だ。

SNS疲れしたあなたへ

今回私が綴ったSNS疲れは『気にし過ぎて息詰まった』の一言に尽きる。

他にも様々原因はあるだろう。

身近な人数人にSNS疲れを経験した事はあるかと尋ねた所、5人中4人が『ある』と答えた。

『映えを気にするあまり何が楽しいのか分からなくなった』

『しつこく詮索されて嫌になった』

『暴言を吐かれて悲しくなった』

はたまた、『SNSの見過ぎで肩凝りが酷い』という身体的な疲れも挙がった。

理由は千差万別あれど、どれもSNS疲れに違いない。

その後、アカウントを削除した人がいればゆっくりと継続する人もいて解決策は全て自分の心の思うままである。

最後に私の体験が今お目通し頂いているあなたに全て当てはまるかどうか分からないけれど、誰かひとりでも気持ちを楽にする物だと本当に嬉しい。

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