【三重県】東海道五十三次・武士が泊まっていた旅籠の資料館が素敵だった車中泊旅

関宿旅籠玉屋歴史資料館内 中庭 日本旅
スポンサーリンク

皆さんこんにちは、アラサーフリーターのmamuです。

大阪から三重県へ車中泊の旅へ出発したのは10月の終わり頃、旅のお供はルームシェア相手の親友ちゃんだ。

リーズナブルでめっちゃ美味しい牡蠣を堪能して大満足の私たちが次に目指したのは、東海道五十三次の宿場町・関宿!

一応、前回の絶品牡蠣小屋の様子はコチラ

牡蠣小屋から下道で約2時間くらい走って到着。

江戸時代には参勤交代・伊勢参りなどの交通拠点として繁栄した歴史の町並み関宿は、江戸から明治期にかけての町屋が約200も軒を連ねている宿場町だ。

現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

この日は私たちが訪れた時間が少々遅かったからか、静かで美しい景観をまじまじと見て取る事が出来た。

雰囲気の良い通りを眺めながら私も親友ちゃんも「雨が降らなくて良かった~!」とか話していたどうでも良い記憶(笑)

…と言うか、ブログを書いていて思うんだけど、私たちこういう渋めの場所好きだな。

私たちが車中泊旅で行く観光地では高確率で同年代くらいの観光客を見掛けないと気付いた。

まぁ、自分たちが楽しめれば良し!

「素敵やねぇ~」なんて言いながら歩いていると、歌川広重が宿場町の景色を描いた東海道五十三次のレプリカを発見。

宿場町以外の景色はこの時代から随分と違っているだろうけど、関宿の町並みは面影抜群に残っているんだろうなと思った。

歩いていると、そこかしこで古民家の味を活かした商店や雑貨屋さんが展開されていて、ワクワクと胸弾む!

古民家カフェとかお食事処もあったので、ランチとかしても雰囲気を楽しめそうだ。

岐阜県飛騨高山の古い町並みでも思ったけれど、昔の姿をそのまま残しているというのも歴史を感じられて面白いのだが、現代の生活に馴染んで適応する姿も面白いなぁ~と個人的に。

そして歩いていて私が食い付いた光景がこちら…(笑)

江戸時代の建物に昭和レトロの面影!

元々古くから薬局だったのだろうか、それとも時代の経過と共に薬局屋さんになったのだろうか…なんて想像するだけで楽しい!

「あのウサギ知ってる?」なんてお喋りしながら歩いていると、次に発見したのは高札場のレプリカだった。

はい、斜め。(相変わらず写真撮るの下手くそです、すみません)

電話はおろかスマホなんていうインターネット使いたい放題の便利品が無かった時代、町民たちに決まり事や生活に重要なおふれがここに掲示されていたのだ。

昔の人々はみんなここを見上げていたのかなぁと想像してみたり。

そして高札場の裏には、宿場町の景観を損なわない工夫に溢れた現役郵便局があった。

普段見慣れている郵便局と景観が違うだけで用もないのに立ち寄ってみたくなったりした(笑)

残念ながら休日なのでお休み。

親友ちゃんと穏やかにお喋りしながら町並みを楽しんでいた私たちが、関宿で最初にやって来たのは『関宿 旅籠玉屋歴史資料館』!

歴史深い町並みの中でも白い漆喰が一際美しいこちらである。

玉屋は江戸時代から現存する旅館で、江戸の当時は『旅籠(はたご)』と呼ばれていた建物がそのまま資料館になっているのだ。

『関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か』なんて謳われた関宿を代表する建造物である。

関宿 旅籠玉屋歴史資料館

・営業時間 9:00~17:00
・定休日 毎週月曜日 年末年始(12/28~1/4)
・入館料 大人300円
     小中高200円

300円でチケットを購入してしまえば、この玉屋と『まちなみ資料館』共通で入館可能でめっちゃお得!

主に公用以外の武士や庶民が宿泊していた旅籠なのだが、玉屋がいつ頃から旅籠を営んでいたかは明確に判明していないそうだ。

しかし、寛政12年(1800)の宿場珍図には代々襲名していた名前が記載されているので、その頃には既にこの場所で宿を営んでいたと考えられているのだとか。

そしてこれは受付の方の御親切でたまたま解説頂いたのだが、この玉屋の旅籠・旅館としての宿帳記録が昭和初期まで続いていたそうでかなり衝撃を受けた。

江戸時代なんて言われると遠い昔に感じる所だけど、それが昭和初期まで実際に機能していたと想像すると随分と不思議な気持ちになった。

そんな玉屋のお台所(土間)がこちら!

天井高っ…。

冬場とか寒そうだし、昔の炊事は今よりもずっと重労働だったのだろうなぁ…。

屋内は、こういった当時使われていた道具や庶民の旅に関する歴史資料が展示されているけれど、特に説明書きがそこかしこに用意されている訳じゃ無く、当時の情景を眺め学ぶのが中心の資料館となっている。

全然めっちゃ楽しい。

台所を抜けた先には井戸があった。

『井戸端』とだけ書かれていたので、もしかしたら玉屋で働いていた人たちの談笑場所になっていたのかも。

と言うか、敷地内に井戸の設備も整っているなんて流石である。

そして、この玉屋…入館してみると実感できるのだが通りから眺めていた時よりも敷地が広い!

もう圧倒的に奥に長い。

井戸端を通り過ぎて更に奥へ進むと、ポカンと広い庭の奥に土蔵まであるのだ。

この玉屋資料館中でも目玉の展示品があるのは土蔵。

なんと、東海道五十三次の歌川広重が描いた玉屋に関する浮世絵の原本が展示されているのだ!

それを受付で聞いた時は、めちゃくちゃワクワクしたものである!!

撮影禁止なので実際に閲覧した感想だけ残すと、想像よりも小さいサイズながら鮮やかで細やかな絵柄で「こ、これが本物か…(ゴクリ)」みたいな感じだった。

土蔵2階部分には、玉屋で実際に使用されていた食器やお膳類が展示されていてその美しい保存状態も凄かったのだけど、何よりかなり急な昔の階段を実際に登れる事が嬉しかったりした。

庭には、真っ赤なナンテンが。

ここで少し余談、土蔵の隣に綺麗なお手洗いがあって助かった。

急な腹痛に襲われていたので本気で感謝した。

さて、ここまで見学してようやく玉屋の今で言うエントランス、帳場へ!

絶対に見学順路を間違っている、実はお台所の隣に帳場はあったのだ。

玉屋内部に当時の旅人と同じように靴を脱いで上がり込んでしまえるのも魅力!

帳場先には情景を彷彿とさせる草鞋が数足揃えられていて、私はタイムスリップ気分でお邪魔した。

お見せする事は出来ないが、実際に座り込んでチェックイン写真を撮影したりとキャッキャと楽しむ私たち。

ノリノリでマネキンのアテレコまでして「やぁやぁ旅のお方!」とか2人で茶番劇をしていたら、背後に他の入館客の方がいて恥ずかしかった…。

さて、気を取り直して帳場のお隣はこんなお部屋、やはり奥行が長い。

どの部屋がどのように使われていたかは明確に分からないが、関宿で名高い旅籠だった玉屋は多い時で200名にものぼる宿泊客があったと考えられているそうだ。

実際に玉屋の宿帳には100名近い団体の記録が残っていて、そんな大人数を収容する為に当時の旅籠では1部屋に数組が泊まる相宿が普通だったのだとか。

現代では到底考えられない文化である。

お部屋の奥には、江戸時代の旅にや旅籠に纏わる物が展示されていた。

その中でも私が個人的に気になった物がこちら!

『旅行用心集』という本なのだが、これは現代で言うガイドブックだったそうだ。

記載されている内容は『宿屋でノミをさける方法、寒国旅行の心得のほか、道中持参すべき薬・用具』等が絵入りで細かく紹介されているのだとか。

私が江戸時代に生きていたなら、旅とはどんなものなのだろう…なんて、この本を片手に空想していたかもしれない。

と言うか、所謂ガイドブックという物が当時から現代まで形を変えて需要が続いている事に、人は昔から旅好きだったのかな~とか思ったりした。

進んで行くと小ぢんまりと情緒ある中庭が。

きっとこの玉屋もそれはそれは活気で溢れる旅籠だったのだろう。

大名や幕府のお偉いさんが宿泊するのは本陣・脇本陣、一方玉屋は武士や一般庶民が食事付きで宿泊した旅籠だ。

旅籠を描いた浮世絵には、店先でお客さんを呼び込む客引きや桶で足を洗う客の姿・お膳を運ぶ女中さん・入浴を済ませて座敷で寛ぐ宿泊客などの姿が見えた。

2階に上がると情景がより分かりやすい展示室があったのだが、布団が敷かれたそのお隣の部屋にはお膳がズラリと並ぶお食事処になっていた。

…薄い障子を隔てたお隣…こんなん宴会でもされたら寝られたもんじゃない!!(笑)

そうこうしている内に私たちは玉屋を1周見て回り、今の旅とのギャップをじっくりと噛み締めたのだった。

…この時時刻は16時15分、閉館時間は17時。

共通チケットで入館できる資料館までの移動を加味して、受付の方にお礼を伝えながらも急ぎ足で次へと歩み始めた。

面白かったです、ありがとうございました!

本当はまだまだ見せたい所が沢山あるのだが、それは是非あなたご自身の目で…。

と言う訳で、ここまでお目通し頂いたあなたに少しでも江戸の旅の雰囲気を伝えられていたら幸いである!

次回、関宿後編へつづく

コメント

タイトルとURLをコピーしました